僕が出逢った十人十色
玉川四季物語を通じて玉川の魅力を発信したい白鳥さんのお茶への想い〈前編〉
白鳥さんが家業を継ぐまでの物語
今回の取材でお話を伺ったのは、家業のお茶屋さんを継ぎながら、お茶を通じて玉川の魅力を伝えたいと挑戦されている白鳥 勝之さん。 前編では、実家の家業を継ぐまでのエピソードを取材しました。
白鳥 勝之
1979年生まれ。静岡県静岡市葵区玉川地区で生まれ育ち、一旦地元を離れて東京農業大学で学んで、Uターンして家業であるお茶農家を継ぐ。
その後、実家を離れて会社に勤め、社会経験を積んで、現在は個人事業としてお茶の生産から販売を行っている。
「玉川四季物語」を通じて、玉川の魅力を発信し、お茶農家として新たな挑戦をしている。
実家を飛び出し会社に勤めた理由
ケンフィー 玉川でお茶農家と林業をされているんですよね。始めたきっかけは後継ぎですか?
白鳥さん 元々は東京農業大学を卒業して、家業を手伝うために実家に戻りました。
お茶って人手がめちゃくちゃいるんですが、母親を亡くしていることもあって、僕が手伝うしかなかったんです。
ケンフィー それは大変ですね
白鳥さん 僕が就職するタイミングは「就職氷河期」と言われていたので、
就職先が決まっていることに対して羨ましがられましたが、僕からしたら自由に就職先を選べるみんなの方が羨ましかったですよ。
ケンフィー 確かに見方を変えるとそうですね。それからずっと家業を手伝ってこられたんですか?
白鳥さん いえ、途中で一度、会社に就職しました。社会経験を積んでおきたいと思って、
10年間家業を手伝ったあと、会社に勤めました。本当のことを言うと逃げ出したかったんです。
18歳の時に母親を亡くしてから、父親が1人でなんとかしようとしている中で、自分にもきつく当たるようになりました。
22歳で大学卒業してから家業を手伝ってきましたが、そんな父から逃げたくて就職しました。
ケンフィー そんなことがあったんですね。
一生懸命作ったお茶をお客さんのもとに届けたい
ケンフィー 今、再び家業の手伝いを行っている理由は何でしょうか?
白鳥さん お茶を通じて玉川の魅力を発信したいと思ったからです。
大学卒業してから10年間の間、親に厳しく指導されながら、お茶の生産について学びつつ、言われるがままに働いていました。
それから、会社に勤めて社会のことを知るうちに、自発的にお茶を通じて玉川に還元したくなって、
今は個人事業主としてお茶の生産・販売を行っています。
ケンフィー 会社に勤める前と今で、同じことをしているようで、志は変わったんですね。
白鳥さん そうですね。大学卒業後の10年間は、親から言われるままに仕事をしてい他ので、
生きている心地がしなかったんです。けれども一度社会に出て、お茶を通じて挑戦したいと思って、
今の仕事を選んでからは、毎日が楽しいです。
ケンフィー 自主的になると楽しくなりますよね。
白鳥さん そうなんですよ。昔、会社に勤めていたころに、社長さんが冗談っぽく、
「自分は24時間仕事をしている」みたいなことをいっていて、当時は全く理解ができなかったんですが、
今となっては、その気持ちがよく分かります。
ケンフィー 実際に個人事業主として経営し始めて、社長さんの気持ちが分かったんですね。
元々、家業では販売まで行っていたんですか?
白鳥さん いえ、自分の親は生産しかして来ませんでした。ですが、自分たちが一生懸命生産したお茶を、
お客さんに届けたいという想いから、個人事業として販売を行うようになりました。
ケンフィー 玉川四季物語を作ったのは、その流れからなんですね。
白鳥さん そうです。お茶を通じて玉川を味わってもらいたいという想いで商品化しました。
玉川の特産品としてお茶を提供するのではなく、お茶を玉川の魅力の一つにしたいなと考えています。
白鳥さんが商品化した「玉川四季物語」。
お茶の要素を取り除き、
玉川の風景画が描かれたパッケージが特徴。
玉川四季物語を通じて玉川の魅力を発信したい白鳥さんのお茶への想い