僕が出逢った十人十色
20代の集大成を迎える井口陽平さんの覚悟 Vol.2
2年間の試行錯誤を経て、次のステージへ

井口 陽平
1991年生まれ。大阪出身。NPO法人若者応援コミュニティとりのす代表理事、株式会社リンガーリンク代表取締役、
SDGsネットワークおかやま若者部会代表、一般社団法人Community rapport理事を務め、エンターテインメント×人材育成をテーマに、
大学生と地域住民を繋ぐ「まちなか大学祭」や、企業の魅力を知るバスツアーなどを企画・運営している。
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慈善事業じゃいつか回らなくなる
ケンフィー 学生のためのコミュニティスペース「nest OKAYAMA」も貸出団体を絞って縮小させたんですよね。
井口 陽平 結局、いろんな人に「使っていいよ」みたいな場所貸しみたいな事業をしていたんだけど、
場所貸しするところやったら他にもあるしと思って。それで1つ決めたのは、うちのスタッフが会議に入ってくれないと困るって
言われてる団体以外はもうちょっとお断りをするようにしたのよ。「いや、場所さえ貸してくれればいい。
あなたたちスタッフはいなくていい」っていう人は別にうちを借りなくてもいいから。それはやめようと思って。
NPO法人としての価値が最大化できるところに時間をつぎ込みたいって思ったのよ。ここを場所だけ24時まで貸してると、
戸締りもしないといけないし、その子たちが帰るまで居ないといけないし、そうなっていくと、これはNPO活動の域を超えてるなと思って。
ケンフィー 確かに場所を貸している以上、翌日の予定に関わらず、早めに帰宅できないですもんね。
井口 陽平 営利活動にも非営利活動にもなっていないことをしてるなって思ったの。
ただ自分が貸し出したら喜んでくれる人がおるだろうと思って、それだけでやってきた結果、いろんなことがうまくいかなくなってきて。
それから改めて勉強をした時に、NPO活動をするにしても、資金があって、課題があって、解決するまでの道筋が確立されていない事業って、
事業と言えないよなっていうところに気付いたんよ。「あぁ、そういうことだったんだな」って気づいて。なんか事業ごっこしてたみたいに思えてきて。
ただ、そのアイデア自体は全く間違ってなかったと思ってて、やり方や巻き込み方が分かっていなかったんだと思う。
ケンフィー 慈善事業だけでは法人としてうまく回らないってことですね。
井口 陽平 既に世にあるやり方を勉強せずに、とりあえず自分がやりたいことをやってみた結果、
それが甘かったって分かった。これは、自分が28年間生きてきた中にもたくさんあって。このプロセスを踏んできたことはたくさんあるから、
どうせ今回もそうだったなって思うんだけど。自分でやってみてダメだったら、自分で振り返って反省して、また次の改善をしていくっていうやり方が、
自分の中で1番合ってるのよね。最初から「これやったらうまくいく」って人から教えられて、
それを実践するのって向いてないなっていうのが分かってたから後悔はしてないんよ。
ケンフィー やってみて、もしダメだったらダメだったで、この方法だとうまくいかないと分かりますし、
うまくいく部分があれば、やり方自体は間違ってなかったんだなと感じられますし。僕も自分が感じないと変えれないタイプなので、
すごく共感しています。
井口 陽平 自分で感じて前に進むタイプだから、「2年間やってきて甘かった」って言ったけど、
それは”間違ってた”という意味じゃなくて、”新しい次のステージに行けた”っていう感覚だよね。
辞めると決断したから次に行けた
ケンフィー その通りだと思います。Twitterで、それを知ってるかのように周りから
どんどん新しい案件が入ってくる、みたいなことを呟いていたと思いますが、バーを辞めたタイミングで周りから
新しい案件が入って来たんですよね?
井口 陽平 そう。本当に面白いけど、店を辞めた10月19日の次の日から、次々と新しい案件が入ってきて…。
もともと店辞めたら夜の時間が空くから、もう1回、自分がやりたかったNPO活動とかを理念に戻って、
2020年はやっていこうって決めてたんだけど。
ケンフィー NPO活動から離れていたのは何か理由はあるんですか?
井口 陽平 バーを経営したり、会社を経営したりしながら、2年~3年ぐらいはNPO業界から逃げてたというか、
あえて遠ざかってたのね。自分自身がそこでずっといるんじゃなくて、違う業界で勉強したかったから、2年ぐらい離れてたんだけど、
いわゆる若者支援してるNPO界隈から「井口さん見ないよね」「もうNPO活動やってないんじゃないの?」「でもやってる気配もするし」みたいになってたらしくて。
ケンフィー 経験のために遠ざかって貯めた経験値をNPOの活動に還元しようとしたわけですね。
井口 陽平 2020年、もう1回原点に戻って、自分としてやりたかったことをやってみようと思ってたら、
バーを閉店した次の日の10月20日に、めちゃくちゃ懐かしい、学生時代に一緒に絡んでた人たちからメッセンジャーやLINEが来たんよ。
「ちょっと話せえへん?」みたいな。多分、その人たちは店を辞めたって知らないんだけど、「こういう話があって、一緒にやらない?」という話が
もう山のように来て、「自分で辞める」って決めてなかったら、この話はなかったと思うんよね。
ケンフィー 既にバーを閉店することが決まっていたんじゃないかっていういぐらい偶然ですよね。
20代の集大成を迎える井口陽平さんの覚悟