僕が出逢った十人十色

島田で奇跡を起こした森田 秀平さんの57日間の物語 Vol.1

島田スカイランタン祭りを引き継いでみて

森田 秀平
1995年静岡県島田市出身。大学進学で静岡県を離れるも、現在は静岡県にUターン就職し、同じく島田市出身の兵庫 勇樹さんが主催するスカイランタン祭りにスタッフとして参加する。 兵庫さんから島田スカイランタン祭りの主催を任され、2020年10月11日大井川緑地公園で100基分のスカイランタンを打ち上げるのに成功する。 絵本の出版やファイナンシャルプランナーなど多岐にわたる活動を展開している。

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主催したきっかけ

ケンフィー 10月11日の島田スカイランタン祭りでは、お疲れさまでした。

森田 秀平 お疲れさまでした。ありがとうございました。

ケンフィー あの後すごく反響があったみたいですね。

森田 秀平 テレビがあったので、すごい反響はありましたね。 やっぱりイベントに来た友人とかがすごく喜んでくれたというのが嬉しかったですね。

ケンフィー まず、島田でスカイランタン祭りを主催しようと思ったきっかけを教えてください。

森田 秀平 (2年前に島田でスカイランタン祭りを開催した)兵庫勇樹という人に 「やってみたら?」と言われて「じゃあやりますか!」っていう感じですね。僕自身、島田スカイランタン祭りが、 2年前に島田市で2000人の人が来るほどのイベントだったことは知っていましたが、 自分から「これやりたいな」とかという気持ちはあんまりありませんでした。 ただ、兵庫さんに「やってみたら?」って言われて「やります」って言いましたね。

ケンフィー ちなみに、どういう形で言われたんですか?

森田 秀平 普通にお酒飲んでて酔った勢いですね「じゃあ、やってみようかな」みたいな感じでしたね。 一応島田で毎年開催されているそうで、「今年もできたらいいね」みたいな話はしていて。 兵庫さんから「やっちゃえば?」って言われて、「じゃあやろうかな」みたいな感じでしたね。

ケンフィー なるほど。実際に動き始めたのはいつ頃ですか?

森田 秀平 年度初めぐらいから準備はしていました。そして7月には河川敷の場所は押さえてました。 ただ実際にランタンの打ち上げ権を販売したのは、今年の駿府城公園でのスカイランタンフェスが終わってから2週間後でしたね。 8月15日ぐらいにパスマーケットやFacebookでイベントページを立ち上げた感じですかね。だから本当に予定とかめちゃめちゃですよ。 普通、イベントの日が雨だった場合の予備日って翌週にするじゃないですか。それを連続で取っていたんですから。

ケンフィー ある意味それで奇跡になりますよね。

森田 秀平 台風がそれるっていう、ある種の奇跡が起きましたね。本当に奇跡でした。

テレビ局の社員まで動かした情熱

ケンフィー それを翌週にしてたら、その奇跡を味わえなかったですよね。

森田 秀平 しかも翌週にしてたら取材はなかったんですよ。SBSが番組的にどうしても、 10月10日か10月11日に開催してくれないと、15日の放送枠がなくなっていたらしいです。もし翌週にしたら取材は全部没って言われていましたから。

ケンフィー ちなみに、その取材っていうのはいつぐらいから始まったんですか? 放送を見る限りだと、長いこと密着されていたなという印象がありましたが。

森田 秀平 (密着自体は)そんなに長くないです。実際、僕が路上で販売を開始し始めたのが9月3日なんですけど、 1~2週間後にたまたま路上で声を掛けた人がSBSの社員さんで、そこからその人が島田支部の人に連絡してくれましたね。 そして島田支部の人から「取材をしたい」と連絡があって、取材を受けました。実際には10月入ってから密着がありました。

ケンフィー ドラマがありますね!

森田 秀平 そうなんですよ。最初、その取材してくれた人が支局長に「(島田スカイランタン祭りを)取り上げたいです」と言ったらしいですが、 支局長が「いや弱いよ」って却下したらしいんですよね。「それは取り上げるほどのものじゃない」みたいなことを言われたらしくて。 でもその方は「いや、どうしてもこれは絶対いいものになるからやらせてください」と推してくれて取材が決まりました。 そういう話を聞いて、嬉しくなりましたね。

ケンフィー 自分の周りだけじゃなくて、テレビ局の社員も動かしたんですね。

森田 秀平 動いてくれましたね。