僕が出逢った十人十色

世界一周を終えた長谷川 海音くんの「大学生部」特別インタビュー - ノーカット版 Vol.4 戦争の傷跡

対談企画「僕が出逢った十人十色」特集号として、とあるオンラインサロン内の「大学生部」ブログチーム企画でインタビューを行った長谷川 海音さんの対談をノーカットで掲載しています。 「大学生部」ブログチームのインタビュー記事はコチラからご覧ください。。

長谷川 海音

1996年生まれ。東京都出身。東京大学3回生。1年休学して、4月17日から10月3日にかけて世界一周し、27ヶ国66都市訪れる。 現在は無人島アートフェスに向けて活動する傍ら、自身が作曲した曲を弾き語る動画をほぼ毎日Twitterに投稿するなど多彩な活動に取り組んでいる。

目の当たりにした戦争の傷跡

ケンフィー (話が変わるんですが)Facebookの投稿で、戦争の傷跡を目の当たりにしたと書かれていましたが、訪問先で戦争を感じることがあったんですか?

長谷川 海音 そうですね。戦争については、アウシュヴィッツとか、ユダヤ人の歴史美術館とか、ボスニアヘルツゴビナのサラエボ紛争とか、ユーゴスラビア紛争から起きた傷跡を見たりしました。あとは、ベトナム戦争の写真の展示、カンボジアのクメール・ルージュ党、ポルポト政権の時の負の遺産も見て回りました。戦争の恐ろしさというか、そういうのって歴史の教科書に書いてあったりするんですが、それを直に触れてみるというのは、感じるものが違うなって思いましたね。

ケンフィー 僕もつい先日、岡山空襲の展示会が岡山駅前で開かれていたので、行ってみたんですが、そこで戦犯として翌日死刑を執行される最後の晩に家族に宛てた手紙だったり、戦争で主人を亡くした妻が残した文章を見て、心苦しくなりました。あと、アメリカが第二次世界大戦終盤に、日本とドイツの家屋のモデルを作って爆破実験をしていると知って、戦争って国家規模の殺人なんだと改めて思い知りましたね。

長谷川 海音 アウシュビッツとかに飾られている写真や、アウシュビッツに残った遺品とかがびっしりあって、小さい赤ちゃんを抱えているお母さんが後ろから撃たれる瞬間とか、首を何人も吊っているのを見て笑っている人とか、そういう写真がありました。あと靴や髪の毛などの、ナチスの収容者の遺品の中に、子ども靴がたくさんあって、小さい子どもたちもたくさん犠牲になったんだなぁって思いました。そういうのを見ていると、生まれてすぐに希望がなくなってしまった子どもたちは、どういう世界を見ていたんだろうって思いますね。

戦争反対!

ケンフィー その当時は植民地とブロック経済が当たり前のように行われていたけど、(その背景に非人道的なことがあったことを踏まえると)何が正解かなんてわからないですよね。

長谷川 海音 とにかく絶対に(戦争は)ダメだなって思います。それがアートとどういう関係かといえば、例えばカンボジアだったら、クメールルージュがポルポト政権下で大量に虐殺したことも残酷ですが、知識人や文化人まで虐殺して、文化的な価値までまるごと潰しにかかったというのが、一番な残酷なことで、それによってカンボジアの文化発展が停滞していたんです。それから、ポルポト政権の時代を生き延びて残った画家が、当時の様子を絵にして後世に伝えたり、破壊された寺院を直そうとしたり、歌や踊りで盛り上げようとしたり、クメールルージュ後の文化が衰退しきった世の中で、アートや芸術を拠り所にして成長(文化発展)を遂げています。

ケンフィー ちなみになぜ、文化人や知識人を虐殺したんですか?

長谷川 海音 ポルポト政権は革命を起こして新しい理想のユートピアを作ろうとしていて、今のカンボジアを悪に仕立て上げて、今あるカンボジアの文化を否定しようとしたのだと思います。実際にはユートピアなんてできなかったんですけど。

ケンフィー 結果的にはユートピアはできず、さらに文化発展も遅れてしまったと。

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