僕が出逢った十人十色

電気系を卒業して声優を目指す椎田智文の挑戦 Vol.3 大学で味わった挫折経験

対談企画「僕が出逢った十人十色」第1弾は、大学で電気系を専攻するも、就きたい仕事とのギャップに悩まされ、挫折を経験し、そこから立ち直って声優を志そうとしている椎田智文くんに話を伺いました。 Vol.3では、彼が大学時代に味わった挫折経験について掲載。

椎田 智文
1992年生まれ。大学で電気系を専攻するも、2度の留年を経験し、一時は現実逃避に走る。 現在は、幼いころより好きだったアニメの声優を目指し、養成所に通い始め、夢に向かって挑戦しようとしている。

次第に大学に行かなくなった

ケンフィー(以下、僕) その後は順調に進級できた?

椎田智文(以下、椎田) 2回留年を経験してる。2回生から3回生に上がるときと、4回生から卒業するとき。

 2回生のときは何があったん?

椎田 単純に単位とれずに、3回生への進級要件を満たせなかった。

 それは時間割的には大丈夫やけど、試験で点がとれなかったってこと?

椎田 そうやな。テストで点がとれずに(単位を)落とした。

 そのときから電気系が難しいなって思い始めてた?

椎田 そうやな。電磁気とか訳分からなかった。

 3回生から4回生になるときは単位は足りてた?

椎田 それは足りてて、無事に研究室配属された。んで、去年は研究室のゼミなどを受けながら、就職活動して、就職先は一応決まったけど、その後大学に行かなくなった。

 なんで行かなくなったん?

椎田 大阪での開発設計を行っている企業に就職がきまったけど、声優になりたいと思い始めて、それとは違う仕事に就くことに心残りもあったし、先生の指摘等がキツくて精神的にやられて、研究するのが嫌になり、大学に行くのが億劫になった。

 そのころは家でどんなふうに過ごしてたん?

椎田 昼過ぎに起きて、パソコンで動画などを見て、飯買いに行って飯食って寝る

大阪と東京へ逃げた

 そういう生活を何か月ぐらい続けたん?

椎田 就職が決まったのが9月で、そのころから研究が始まって、次第に心が折れてきて10月中旬ごろから約1か月、家に引きこもっていた。その後、大阪の方に行ってた。

 それは就職関係で?

椎田 全然。大阪の友達の家に11月中旬ごろから2週間、転がり込んだ。

 それは家にいても大学のこととか考えてしまうから?

椎田 いや、先生からメール来たのを無視ってたら、一回先生が自宅まで来て、家にいるのも嫌になって、大阪まで逃げてた。そして、そのことを誰にも告げずに大阪で過ごしてたから、先生がもう一回家に来た時に、家にいないことがバレて捜索されてた。

 そのあとは?

椎田 今度は東京の友達の家に行って、12月上旬まで過ごしてた。そこから帰ってきて、親と話し合いになった。

 そのとき親から何て言われたん?

椎田 なんで?就職も決まったのにって。嫌になったという話や、生きるのがだるいっていう話をして……

 今の現状が嫌やったってこと?

椎田 将来的に見ても、なりたかった仕事でもないし、就きたい仕事でもないし

 いろんなことから逃げてきて、実際に向き合うのが怖くなったのかもしれんね

椎田 まぁそうやな。そういう事情で、大学のカウンセリングに行くことになって、勧められたメンタルクリニックに行き、うつ病と診断された。その後、投薬治療を始め、今でも服用している。

 1月~3月はどうしてたん?

椎田 何もしてなかった。とりあえず治すことに専念した。