僕が出逢った十人十色

オフラインで人が繋がるきっかけを作るタキビニスト前原 佑次さんの源流

#2:飲食店経営から引退まで

(撮影:前田 幸星)

前原 佑次
1983年生まれ。愛知県名古屋市出身。幼い頃に静岡県裾野市に移住。 20代後半に飲食店を複数店経営し、スナックCANDY静岡店(2018年閉店)を経営する。20代に社員として時乃栖に就めた経験からえんとつ町のプペル光る絵本展in時乃栖の運営や、そのイベントに合わせてえんとつ町のプペルとコラボした黒ビール「歓欒譚」の開発など、西野亮廣エンタメ研究所関係の活動にも精力的に取り組む。 現在は、富士宮に在住し、スナック焚き火や、有機農家民宿再生などの様々なプロジェクトに関わっている。

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コミュニケーションで道を切り拓いた

ケンフィー 飲食店を経営されるようになったのはいつからですか?

前原さん 高校3年生の時からバイトしてお世話になっていた時乃栖で、20代前半の時にマネージャーを任せられてからですね。

ケンフィー 高校卒業後もバイト先と繋がりがあったんですか?

前原さん 高校を卒業して工場系の仕事をしていたんだけど、ひたすら製品作っていて、納期に間に合わせるのが唯一の高揚できるポイントで、お客さん見えないのがストレスだったんですよね。そんな時に、高校3年の時にすごく評価されていたバイト先から「社会人1年目も土日は出て欲しい」って言われて、土日はそっちの仕事もやってました。人に会ったり話をしたりするのがすごく好きで、工場系の仕事でのストレスを土日の接客業で発散していました。

ケンフィー 軸足を時乃栖さんに移したのは何がきっかけだったんですか?

前原さん 時乃栖の社員の人に「(今の工場系の仕事を)辞めようと思うんだよね。なんかつまんないし」って言ったら、その人たちが「じゃあ、社員になれば?あんただったらすぐ言ってあげるよ」って言ってくれて軸足を移しました。そこからは、いろいろなことを企画しましたね。その後、マネージャーをやらせてもらって、すごい人生経験を積みました。

ケンフィー 時乃栖さんって、2021年2月末に「えんとつ町のプペル光る絵本展」を開催して、前原さんも協力されていましたよね。

前原さん その時の評価があったから開催できました。光る絵本展の話を時乃栖さんにしにいった時も、社長が出てきて「いいよ、前原君が言うなら」って言ってくれて、無償で会場を貸してくれたんだよね。

ケンフィー そこで西野亮廣エンタメ研究所と繋がってくるんですね。

西野亮廣エンタメ研究所とのコラボ

前原さん 時乃栖の先代の会長が「えんとつ町のプペル」を重役全員に渡して回ったという話を聞いて、絵本展の話をしに行ったんよね。ただ時乃栖ってあまりコラボしてイベントをやらないけど、そこもいいよって言ってくれて、話が盛り上がりました。その流れで朝霧高原黒ビール(歓欒譚)を作ってくれることになったんですよ。

ケンフィー その流れで歓欒譚ができたんですね。飲食店の経営からイベントの企画まで、いろいろされてきたんですね。

前原さん そうね。ただ飲食店をやっていた時も、同じお店は1個もやらなくて、この街にはこういう店があった方がいいと思って、店を経営していました。基本的に、俺はコミュニティを作るのが好きで、その手法が飲食店だけだったんだと思う。経験してきたことが飲食だったからというのもあるけど、料理へのこだわり以外に、この町にはこういうところがあった方がいいなというのを大切にしています。その考えが、キングコング西野さんのスナック論と当てはまって、スナックCANDY静岡店をやっていましたね。

ケンフィー その考えのもと、スナックCANDY静岡店をやられていたんですね。

前原さん そう。ただスナックCANDY静岡店は、初めの頃だったこともあって世界観はえんとつ町のプペル仕様に作り込まず、カラオケスナックでしたね。西野亮廣さんの本や前田裕二さんの本が並んでいて、絵本「えんとつ町のプペル」の最後のページの絵が置いてあるけど、店内は可愛らしくて、カラオケができるモニターが3台ありました。だから、お客さんのほとんどは西野さんを知らなかったですね。

ケンフィー そうだったんですか?!フードとかはどうされていたんですか?

前原さん 全部出前でやる店にして、スーパーのお惣菜などを持ってきてもいいし、ここで出前を頼んでもいいという風にしていました。店内には、飲み物とおつまみとカップラーメンだけ置いてましたね。でも、それがすごく人気だったんですよ。

ケンフィー 何がウケたんでしょうか?

前原さん 出前すると、地域の人たちに「ありがとう」って言われるんよ。「今日ちょっと忙しいけど1時間もらえたら持って行けるよ」と持ってきてくれて、みんな歌いながら食べるんですが、その光景を見て、一番やりたかったのはスナックなのかもしれないなと思ってましたね。

ケンフィー いいですね!それは何年ぐらいされていたんですか?

前原さん 2016年から2年ぐらいかな。

当時スナックCANDY静岡店に置いていた絵が、静岡でCANDYを作ろうと活動されている若さんに引き継がれました。(撮影:前田 幸星)

増税を機に飲食店経営を引退

ケンフィー 飲食業は何年間ぐらいやられていたんですか?

前原さん 飲食業は8年ぐらいやってました。飲食業をやめた理由は2つあって、1つは消費税増税のタイミングです。2019年の参議院議員選挙で事実上、増税が決まって「飲食業はこれから厳しくなるな」というのが見えたのと、税金がものすごい額だったんよね。

ケンフィー 確か、当時の参議院議員選挙でも増税が議論になりましたよね。

前原さん もう1つは管理業務が増えちゃって、日々の業務内容も変わっていくのを感じたからです。3店舗までは自分でなんとなくできるんだけど、4店舗目からは右腕がいないと回らないんだよね。任せられるところは任せて自分は違うことをやっていかないといけないんだけど、それができなかったから譲ったりして、自分は身軽になりたいっていうのがあったから(飲食業を)辞めたんです。

ケンフィー 人を雇うって大変ですよね。実際、コロナ禍でも人件費が圧迫して倒産している飲食店も少なくないですし。

前原さん 2019年の9月で飲食店を辞めて、4ヶ月後にコロナが来て、相談を受けることが増えましたね。

ケンフィー 前原さんは飲食店がこれから厳しくなると思っていたけれど、コロナがきて追い討ちをかけるようにやばくなったという状況ですよね?

前原さん うん。参院選を見て判断しました。世論が動いたら、コロナの対応で二転三転したように、消費増税も凍結される可能性はあったけど、結構すんなり自民党が勝ってしまったから、消費税率が上がるのは確定だなって7月に判断しました。

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