僕が出逢った十人十色
NPO法人を立ち上げた井口陽平さんの想い Vol.1 復興春フェスを始めたきっかけ
対談企画「僕が出逢った十人十色」第2弾は、大学1年のときから数々のイベントを立ち上げ、今ではNPO法人を立ち上げて若者応援など多彩な問題に対して取り組もうとしている井口陽平さんに話を伺いました。

井口 陽平
1991年生まれ。大阪出身。NPO法人若者応援コミュニティとりのす代表理事、株式会社リンガーリンク代表取締役、
SDGsネットワークおかやま若者部会代表、一般社団法人Community rapport理事を務め、エンターテインメント×人材育成をテーマに、
大学生と地域住民を繋ぐ「まちなか大学祭」や、企業の魅力を知るバスツアーなどを企画・運営している。
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復興春フェスを始めたきっかけ
ケンフィー
先週は復興春フェス、お疲れ様でした。
(※収録は2017年4月2日で、その1週間前に駅前で復興春フェスというイベントがあり、僕はそこでステージイベントを取りまとめていました。)
井口 陽平
お疲れ様でした。本当にありがとうございました。復興春フェスでは初めてのステージでの試みでした。
復興イベント3年目で、新しいことができたと思う。復興イベントだけど、復興に興味がある人を対象にしているわけではないから、
ああいう形でアトラクションがあって、こちら側としても新しいカタチが見えたような気がして、非常にお世話になりました。
ケンフィー
三年目と言いましたが、そもそも(復興春フェスが)始まったきっかけって何ですか?
井口 陽平
もともと3.11があったときが2011年で、その年は自分が大学入学した時でした。
今考えると、3.11は自分の人生を大きく変えた出来事だったと思います。大学に入るタイミングでそれがあって、
それまでは自分のためにしか動いてなくて、たとえば単純に勉強を頑張っておけばいいとか思ってたんだけど、
あれが起こって、多分みんなもニュースとか見て衝撃受けたと思うんやけど、自分も「自分にできなることはないか」と考えるようになったんよ。
ケンフィー
3.11が人生を大きく変えたんですね!実際、何をされたのでしょうか?
井口 陽平
人に対して、損得じゃなくて何かできないかなって思っていたので、1年の夏休みに被災地、岩手県に2か月間復興のボランティアに入らせてもらいました。
そこで出会った全国の学生が、本当に自分のやりたいこととか、自分が誰かのために何かしたいって想いを持っている子がすごく多くて。
それまでの半年間、岡山で生活してたけど、岡山でこんな学生たちいないなと。でも岡山って学生が多い街だし、
学校数も多いから、岡山がもっと元気にならないと、日本って元気にならないんじゃないかなって。
ケンフィー
実際に被災地でボランティア活動しているうちに、岡山の課題に気づいて、今の活動に繋がっているんですね。
井口 陽平
その3.11のボランティアをきっかけに、岡山の学生に対してもっと主体的に、
自分が誰かのためになることってすごく楽しいんだよっていう経験を教えていきたいなって思い始めました。
そのスタンスでいたから、(今回の復興支援イベントも)めっちゃ復興支援したいっていう人に
シンポジウムをしてもらうといった活動よりは、6年が経ってしまったけど、何となく東北の美味しい食べ物でもいいし、
東北の素敵な場所だったりと忘れてほしくないよねっていう想いがすごくあって。
ケンフィー
すごく素敵です。風化させないって大事ですよね。
井口 陽平
結局あの災害も昔津波があったけど、それを忘れてしまったからああいうことが起こってしまったわけだから、
今の若い子たちにそれを引き継げていけてるのかなって思って。おばあちゃんとかから戦争の話などを聞くことはあるけれど、
我々がおばあちゃんと同じ立場になったときに、戦争までとはいかんけど、こういう震災があってねという話ができるような
今の若い世代でないといけないなと。いろんな人に伝えたい、それを忘れないでって。
そうなったときに、シンポジウムや展示ではなく、岡山で一番人が集まる駅前で
福島の美味しい食べ物や物産品とかに触れてもらえる機会にしたいなっていう想いを、
当時福島県庁(現・岡山県庁)に勤めていらっしゃった方と意気投合して、
じゃあやってみようかってなって1年目始まりました。そして2年目どうするってなったときに
「こういうのは続けるのが大事だから続けましょう」ってなって。
じゃあ3年目どうするってなったときに「やっぱりやりましょう!」ってなって、3年間続きました。
NPO法人を立ち上げた井口陽平さんの想い