僕が出逢った十人十色

NPO法人を立ち上げた井口陽平さんの想い Vol.4 大学入学からNPO法人立ち上げまで

対談企画「僕が出逢った十人十色」第2弾は、大学1年のときから数々のイベントを立ち上げ、今ではNPO法人を立ち上げて若者応援など多彩な問題に対して取り組もうとしている井口陽平さんに話を伺いました。

井口 陽平
1991年生まれ。大阪出身。NPO法人若者応援コミュニティとりのす代表理事、株式会社リンガーリンク代表取締役、 SDGsネットワークおかやま若者部会代表、一般社団法人Community rapport理事を務め、エンターテインメント×人材育成をテーマに、 大学生と地域住民を繋ぐ「まちなか大学祭」や、企業の魅力を知るバスツアーなどを企画・運営している。

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NPO法人を立ち上げた理由

ケンフィー  大学在学中からイベントを作られていたと伺いましたが、在学中はどんな感じでやられていましたか?

井口 陽平  1年生の頃からずっとイベントづくりをして、途中で休学してビジネスの現場やNPOに行ってみたり、海外行ったりして、 その中で、実際に自分がいきたい領域や分野が「人材育成」だなって思いました。 そこで一回ちゃんと就活してみようと就活してみたら、素敵な企業にたくさん出会えて、 人材育成の会社からも内定もいただいたけれど、そこが東京で・・。

ケンフィー  東京がネックだったんですか?

井口 陽平  東京で働いてもいいんだけど、自分としてはやっぱり東京・大阪の一極集中じゃなくて、 地方で頑張ってやっている人を応援したいし、特に岡山は若い子たちがいっぱい来てるんよ。 なのに地元に帰るとか、東京に行っちゃうって、結局岡山の魅力が伝わってないんじゃないかなって。 岡山で働くことに意味を見出していないんじゃないかなって。

ケンフィー  岡山を離れることに対して葛藤があったんですね。

井口 陽平  その意識のまま東京に行っちゃうともう帰ってくることはないだろなとか、 岡山から別の地方に行った時も同じような繰り返しになって、 それって定住する場所っていう考えがないまま、岡山以外に行っちゃうって考えた時に、まず自分が働きたいのが岡山だなって思った。 全然自分の地元でもなんともないんだけど(笑)。岡山に人材育成の会社があるか調べたら見つかったんだけれど、 そこに応募してみたら、課長さんに言われたのが「君ぐらいの能力がある人を受け入れる体制がないので、申し訳ないんですが他にいってください」って。 そういうのが立て続けにあって、そこまで具体的に考えてるならうちじゃないほうがいいって。

ケンフィー  かなり具体的に計画を立てていたんですね!

井口 陽平  1年生のときから、自分が今やっていることをそのまま仕事にしたいなって思って計画を立ててたんだけど、 いつの間にか、「それは無理だよね」っていう想いが自分の中に芽生え始めて、 「イベントづくりを仕事にしたい」っていうのを隠すようになったんよ。 でも就活とか始めたときぐらいから、自分が始めてみるのがいいんじゃないかなって思ったのと、 こういう働き方できるぞっていうのを若い子に見せたいなって思って、イベントづくりや若者支援などを仕事にしようと決めました。

ケンフィー  株式会社ではなく特定非営利活動法人(以下NPO法人)にしたのには何か理由ありますか?

井口 陽平 株式会社にせずNPO法人にしたのは、自分の利益というよりは、「若い人を支援しています」というのを、 市民の人たちに「それいいね」って共感してもらって、「じゃあ私達も出来ることがあったらするよって」いうのを 受け入れられる体制にしたかったのが大きいですね。それができるのはやっぱり非営利組織なのかなと思って、 NPO法人っていう法人格を選択しました。卒業したタイミングで、NPO法人を立ち上げるようにしたっていうのが今の流れではありますね。

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